ネットゲーム

幼少期の自分にとってゲームは空想の世界を遊ぶための装置だった。

学生のときにネットゲームに触れてからその関係がよく分からなくなった。

いつのまにか打ち込んでいた、誰よりもとは言わないが自分を入れてくれたチームの足手まといにはならないぐらいには上手くなりたかった。そのチームはoMaE:3)sと名乗っていた。

当時はネットゲームとはどうにかして相手に勝つ方法を探る事だと思っていた。

そのチームで活動しなくあったあと、知り合いと他のゲームをやったがなんだか自分がやりたいことと違って喧嘩別れをした。

自分がやりたいこと、いや「ネットゲームはこうあるべきだ」という自分の考えに毒されていた。

高校生の頃、燻っていた。ゲームも現実も上手く行かなかった。

何がやりたいか分からなかった。いや、分かる状態になかった。

高校を辞め、アルバイトも続かなかった。人が信用できなかったし、自分自身のことが大嫌いだった。

それでもゲームは続けた。よくわからない誰もやってないようなHalf-Life 2: Deathmatchや、NEOTOKYOや、SuddenAttackのようなコピーゲームをたくさんやった。

たまたまPortalがやりたくてOrange Boxを買ってあったのを思い出した。

そこにバンドルされているTeam Fortress 2というゲームを自然とやり込んでいた、全てを無視して没入できたからだ。

 

多くのチームを渡り歩いたし、自分でもチームを作った。殆どは上手く行かなかった。

殆どは他人の気持ちがわからないことと、自分のことしか考えていないからだった。

「なぜお前たちは真面目にやらないんだ?」とずっと疑問だった。ネットゲームとはそういうことで表現する場所だと勝手に思っていた。良い意味で言えばストイックだが、私は性格が悪かったので単純に「ゲームがそこそこできる、人の心がないゴミ」だった。

 

本来ゲームとはそのゲームを作った人や一緒にプレイする人、対戦相手とのコミュニケーションだと気がつくのはまだまだ先だった。

 

少し現実の話をしたい。

小学生の頃、母親に犯されていた。

なんとか自分と家族を維持するために私は中学生を卒業するまでクラスのイニシアチブを取って自分を肯定していた。

しかし、高校に入って「今までの方法では通用しない」事を知った。主導権を得ることでしか他人とコミュニケーションが取れなかったから、当然いじめられた。当たり前だ、鼻につくからだ。

だから居場所を作るために部活を自分で作った。けれど、部室は先輩と同級生のセックスの場所に使われるようになって、くだらなくなって投げた。

付き合っていた他校の恋人が自殺した。

全てがわからなくなって、いじめに反撃して授業中に人の頭を文鎮で思いっきりなぐった。

いじめられなくはなったが、居心地の悪さは増すばかりだった。

この頃から幻覚と幻聴がよく見えたり聞こえたりするようになった。

それに対処するための薬の副作用でまともに頭が働かなくて、毎日よだれを垂らしていた。診断は統合失調症だった

限界になった私は学校を辞め、一年無職になった。

 

そんな私を支えるのはネットゲームだった。

ここではただ上手ければよかった。幻聴と幻覚を感じながらずっとプレイしていた。他人に認められたいとは思わなかった、自分を肯定するためにやっていた。

ゲームをプレイしている間は「これは病気の症状で本当は何も起きてないんだ」と自覚することができて、心のより場所になった。

歪な自分の行動もほとんどの人が寛容な心で許してくれた。けれど、不快にさせてしまった人のほうが多かった。

付き合っていたネットゲームの彼女と初めての会話は「女と話すつもりはない、弱いから」と言った。愚直で、けど本心から言っていた。逆に「なぜそんな事を言うのか」と興味を持たれて付き合ったが、僕はなんだかずっと高校生の頃が忘れられないし、人にどうするべきかわからなかった。別れは早かった。

 

ゲームを真面目にやることだけはやめなかった、やめられなかった。

けれど、初めてアジアの大会でトップを取れた。嬉しかった。けれど、同時に燃え尽きてしまったことと、今まで私がコミュニティにしてきたひどい事は許される事はなく、人を蔑ろにしたことにやっと気がついて、全部自分のせいなんだと思って、これ以上居ても気分が悪くなる人が沢山居ると思ったので辞めた。

 

たまにQuake Liveというゲームをやっていた。いや、やっていたというより「サーバーに居続けていた」

Duelという1対1で倒して得るスコアが多いほうが勝ちというルールだった。

しかし、私はそのゲームシリーズはやったことがなかったからレーティングが低くて、ゲームの仕様的に「一生誰も入ることの出来ないサーバー」で何時間も待っていた。

これが後に、今も続く友人と出会うきっかけになるとは思わなかった。

 

僕は段々ゲームがうまくなる事が自分の人生に意味があるか考えるようになった。

少なくとも、今までの方法ではいちばん大切な「対戦相手を含めた一緒にやってくれる人」がいなくなると感じた。

 

大学生になり、未だにゲームをやっていた。

けれど、病状が悪化して続けられなくなった。また学校を辞めた。ひきこもるようになった。

モラトリアムがまだまだ続くのか、と嫌な気持ちになった。

けれど、ゲームしかできなかった。

 

友人がゲームを買ってくれた、MMOだ。絶対自分は多くの時間を使ってしまうから避けていたジャンルだ。

そこで人とうまくやることを考えながらゲームができるようになってきた。

その頃には自活はできないが、人とコミュニケーションが少しずつ上手くなっていった。

上手にプレイすることより、人とゲームをやる難しさと自分のこともできないといけない難しさに直面した。

その頃から「結局、上手くプレイするためには人と円滑なコミュニケーションをして、自我をコントロールすること」だと気がつけた。

それを肝に銘じて沢山の人と沢山レイドをした。私はゲームが上手いわけではない、もっとうまくなりたいし、このゲームをやる人々を知りたかった。

そして、人間関係はとても複雑で私みたいに愚直な人は殆ど居なかった。

その時時で言うことを変えるような、嘘つきが多いと感じた。

これは悪い意味だけではなく、考えて我慢して良いコミュニケーションを取るときにも重要だと気がついた。

みんな苦しいことをしながら、けれど目標に向かって自分たちなりに頑張っていたんだ、と理解することができた。

 

やっと自分がやろうとしていることは少しだけ社会に近づいてきた。

段々と自分が上手くなることより、自分より才能があって機会に恵まれない沢山の人達を思うようになった。

 

ゲームに限らず、根本的に競技ではないものはアートだと思っている。

それは自己表現そのだと感じた。

ただ一つ分からなかったのは人々に自分を認めさせる手段として使っている人だ。

私は治癒と社会に慣れるためにゲームをやっていたから、本当に分からなかった。

腕がたつだけの人は沢山いる。けれど、ゲームを通じて学んで自分を良くしようとするという人はとても少なく感じた。

きっと、昔私のようにどうしたらいいかわからないのだと思った。

 

「認められ続けて注目を浴び続ける人」って競技をしていて実力だけが認められた人が前線を退いた後もなれるとは思えない

そう思っている、結果を常に出し続ける以外レイダーとしては表現ができないんだ。

 

だから、私はどうしても「自分を自分で認めさせるために色々な事をやる」ほうがきっと良いと思っている。

けれど、成功体験にしがみつく人は「俺は前にうまくやったぜ、次いこう」とならないんだろうか。

まだまだ理解がまったく足りないと思った、彼らの苦しさはまるで私のようだと思った。

ただただそういう話を聞くだけでも苦しい。

けれど同時に、自分を自分で認めるのはものすごく難しいことだと言うこともわかっている。

苦しい、他人と自分が同化しているようで気持ちが悪い。

 

またどうすることもできない他人のことを考えてしまった。

私は段々よくなっているのに、それと同時に最悪な気持ちも更新している。